正直言って私はあの光景は異様に思えてしまうのです。
中には「仕事で使うんだよ」という人もいるでしょうが、
タブレットが出る少し前まではタブレット無しで世の中成り立ってましたよね?
これを言ってしまうと、携帯も、音楽プレイヤーも、パソコンもテレビも便利さを求めるが故に作られたものは全て「無くてもいいんじゃない?」になってしまうのですが、ここで言いたいのはそういうことでなく
モノを使うのではなく、モノに使われるようになってしまったら悲しい
ということなのです。
半ば義務のように仕事でもプライベートでも出かける際には、タブレットをカバンに入れる人がいます。
タブレットに限らず、音楽プレイヤー、デジカメ、香水、ヘッドフォン・・・これらは(場面やその人によりますが、)絶対に必要か?と聞かれるとそうではないはずです。
にもかかわらずこれらを持たずに外出してしまい、忘れたことに気づくとまるでこの世の終わりのような顔をする人がいます。それほどまでに何か特別な力でも秘めているのでしょうか?
便利なものは便利なもので「使って」いけばいい。しかし、いい大人が四六時中、みーチャン、はーチャンの如く「便利グッズ」を新しいおもちゃを買ってもらった子供のように「ドヤ」という感じで持ち歩き道具に「使われている」様はちょっとみっともないかもしれませんね。
道具は道具。必要に応じて必要な場で使うのがスマートだと思います。